【令和6年度】第15回 卒業式を挙行しました
令和7年3月8日(土) 京都医療科学大学 第15回卒業式を執り行いました。
今年度は87名の卒業生が、新たな門出を迎えました。
式典では、玉木学長より学位記が、上田理事長からは記念品が卒業生一人ひとりに手渡されました。また、南丹市長をはじめとするご来賓の皆さま、卒業生のご家族の皆さまにもご列席いただき、厳かながらも温かみのある式典となりました。
式典後は、お世話になった先生方へ感謝の気持ちを伝えたり、友人同士で記念撮影をしたりする姿が多く見られ、晴れやかな笑顔があふれていました。
卒業生の皆様、ご卒業おめでとうございます。
これまで培ってきた知識と経験を糧に、それぞれの道で力を発揮されることを心より願っております。
[学長祝辞]
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。 また皆さんを支えてこられたご親族をはじめ、関係者の皆様に対しても心からお祝い申しあげます。
今日の良き日を迎えることが出来たのは、卒業生の皆さん自身の日頃からの絶え間ない努力の成果です。それと共にこれまで20年余りに渡って深い愛情を注ぎ、励ましてくださったご両親、ご家族、その他多くの人々の支援のおかげでもあります。皆さんを支えてくださった多くの人々に「感謝の気持ち」を忘れないでください。
皆さんは学生時代にしっかり勉学をしてきました。ただ4年次秋までの成績がいまひとつだったので、私たち教職員の皆が心配しました。主な教員が繰り返し勉学に励むように指導しました。私も数か月前に補習講義の折に押しかけて、皆さんにしっかり勉学に励むように激をとばしました。皆さんはそろって最後まで本当によく頑張り、卒業まで到達されたことに心から敬服いたします。
診療放射線技師という職務は、ほかの専門職と違って放射線を安全に取り扱う業務を担います。最近医師の働き方改革が進み、診療放射線技師はチーム医療の一翼を担う主要なスタッフとして、さらに多くの役割を担当することになりました。この業務分担(タスクシフト)は医療専門職の一員として、医療にさらに大きく貢献できるチャンスです。
大学では放射線の基礎から最先端の放射線技術まで学びました。放射線の医学利用、画像診断・治療技術は急速に進歩しています。現在最先端の放射線技術も、数年後にはさらに新しい技術に置き換わるかもしれません。皆さんはこれから50年近く診療放射線技師、あるいはその専門家として仕事することになります。その都度、新しい技術を取り入れ、それをマスターし、使いこなさなければなりません。その際には困難な局面に何度も出会うでしょうが、それらを解決し乗り越えてゆかねばなりません。本学では難しい問題を解決する心構え、分からないことを理解するために考えぬき、努力する姿勢を学んだはずです。その姿勢を卒業後も忘れずに継続してください。今後勉学や医療の実践などで困難に遭遇した時には、友人・先輩・教職員あるいはご家族などに相談し、助けてもらい・励ましてもらいながら、卒業後も努力し続けてください。ベストを尽くせば、必ず道は開けてきます。
本学を98年前に創設された二代目島津源蔵先生は、レントゲンによってX線が発見された翌年の1896年にX線写真の撮影に成功され、その後国内初の医療用X線装置を開発しました。引退された後も発明を続け、生涯で178件もの特許を取得しました。晩年の島津源蔵先生が若手に聞かせた言葉に次のものがあります。「学問を教えられたら、その応用を考えなくてはならない。」です。学問とその応用は、皆さんがこれから医療の現場で活躍される長い期間、常に継続、発展させていただきたいものです。
この京都医療科学大学は、日本で最も歴史の古い診療放射線技師の学校です。今日から本校の卒業生であることを誇りに、放射線技術専門の社会人として、医療現場や学会などで活躍してください。1927年の創立以来、本学を卒業した5千人余りの先輩、学友会が他の大学にはない、本学の大きな財産です。 卒業生の皆さんが本学をさらに発展させる、という強い自覚と責任を持ってください。これから本校を卒業した診療放射線技師として、また社会人として活躍され、社会に貢献する人材になられることを心より期待しています。
皆さんの輝かしい門出を祝福して、私のはなむけの言葉といたします。
本日はご卒業おめでとうございます。
2025年3月8日
学校法人島津学園 京都医療科学大学
学長 玉木 長良